月子と海くん★発達障害を生きる★

発達障害グレーゾーン親子から、子どもが自閉症スペクトラム障害の診断を受けました。小学1年生の秋から不登校になり、ホームスクールで学んでいます。日々の暮らし・生き方を綴ります。

離婚の時の話⑦

離婚裁判は始まり、渡された訴状から、反論すること(事実ではないこと)に対して、

私は証拠をたくさん持っていたので、全て弁護士さんへ提出し、裁判1回目の反論文と、証拠を裁判所へ提出し、2回目の裁判に向けて反論文の作成第2弾にとりかかっていました。

 

その頃主人側の弁護士さんから、裁判で今後戦うつもりはなく、

すぐに和解を持ちかけれました。(前回のブログでも触れました。)

私は裁判で徹底的に戦うのか、和解に応じるのか2択用意されたわけです。

モラハラと言われ、時系列もめちゃくさちゃな文章、事実が曲げられた内容。

そして何より、妊娠中から音信不通になり、子どもの顔すら見に来ない身勝手さ。

最後まで逃げてばかりの主人。

将来子どもが大きくなったら、なんと説明するのか?

しっかりと話し合って、人生の大事な決断をしたかった。

 

弁護士さんからは、裁判となると、関係修復はもっと難しくなり、

将来お子さんとの父親との面会が難しくなるかもしれないこと。

そして、裁判は精神的にも、肉体的にもとても辛く、今乳飲み子を抱えて、

裁判に挑むのは、相当な覚悟がいること。

裁判に最低2,3年はかかるので、幼稚園の途中で名前が変わる可能性の示唆されました。

 

正直今手のかかるうみくんを育てながら裁判を続けていくのは、

私自身も自信がありませんでした。

そして何より、うみくんがいつか父親に会いたいと思ったときに、

1%でも会わせてあげられるような環境をつくることが私の唯一できる

親の務めと考え、和解に応じる決断をしました。

 

白黒はっきりさせたい、私の性格からしたら、言いたいこと全部飲み込んで、

よく我慢したなと我ながら思います。(^-^;

妊娠中も、産後も大きなストレスを抱えていたはずなのに、

うみくんとの毎日に忙しいながらも、充実感と、幸福感と癒しを与えられていました。

うみくんがいなかったら、この現実も受け止めて、前に進めていたかわかりません。

 

そして離婚裁判がはじめって5か月間というスピードで離婚が成立することになりました。裁判官は、中立の立場ですが、解決金も、養育費も平均より高めに設定してくれました。(重度の食物アレルギーがあったため)

 

最後まで粘った面会権については、濁され続け、はっきりと取り決めることはできませんでした。※私の担当の弁護士さん曰く、ここはゆるく決めておいたほうが、

今後まだ若いですし、もし再婚となったときに、かえってややこしくなってしまうとのことでした。そして現在も面会権を果たせていません。

 

うみくんが2歳になる直前で、離婚は成立し、新生活を始めることになりました☆彡

長くなりましたが、記事を読んで下さりありがとうございました(*^^)v

 

 

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