と、よく同居している家族に聞かれます(*^-^*)
癇癪を起している本人が一番つらい思いをしているわけですが、
私も、何とかその癇癪が起こらないようにしてあげたいし、
起こらないように対応しているつもりですが、
色んな要因でそれは、突然に火がついたように起こってしまいます。
癇癪の理由はその時々で違うわけですが、
癇癪になる理由を取り除けば、おそらく起こらないし、
素は、裏表がない、とっても素直なピュアな存在だと思っています。
この間も朝からご飯を食べないで、反抗的になっていました。
理由をちゃんと聞いてみると、
『幼稚園に行きたくないけど、行きたいけど、行きたくないの!』
『幼稚園の発表会の練習が嫌なの』と。
なんで嫌だったか聞くと、
『お絵描きできないから。あと、何度も同じ練習するのが嫌だ。』(お絵描きする時間がない)
『お家でお絵描きするのはどう?』
『幼稚園で、動物とか恐竜の絵が描きたいの!!』
要するに、幼稚園は好きなんだけど、今行事などの練習が入ってきていて、
自由に自分のやりたいタイミングで、やりたいことが叶わないことにストレスを
覚えて癇癪になっていました。
本当に些細な事に思えますが、子どもの世界の大半が幼稚園と家で構成されている
わけですから、子どもからしたら大問題。
これから大人になるまで、学校へ行き出したらもっと、
いろいろなことを制限されたり、区切られたり、その度に我慢して
周りに合わせていく訓練なんだよ~と言われ、
大人になるために大事なスキルかのように。
手のひらから砂がこぼれ、すり抜けていって、
残った砂で構成されているような世の中に感じるんです。(ふるいにかけられて)
”みんな違ってみんな良い”とは社会の中でまだ実感できていなくて。。。
『好きなことだけやって、生きて行けるわけないでしょう。』
とよく私も母に言われました。
確かに、それだけでは生きていけないし、ごもっとも。
でもどこかで、本当に好きなことだけで生きてい行けないのかな??
と思ってしまう自分もいる。
そういう仕組みに変えて行ったら叶わないことでもないんじゃないかとか考えたり笑
失敗するかもしれないけど、従来ある常識だけをうのみにせず、
色んな可能性を模索して、挑戦していきたいですね。
もっと、より生きやすくなるために。
転ばない人はいない。転んだらどう起き上がるかが大事(*^^)v